外国語研修(2023年3月フランス)活動報告から転載(学生M.Y.)
私は、2023年3月13日から約2週間、フランスのボルドーに外国語研修へ行きました。この研修に参加しようと思ったきっかけは、もともとクラシックバレエを通してフランス語に触れていて興味があったこと、1年間フランス語を学んだことでフランスという国の歴史や文化により興味を持つようになり、実際に行って体験したいと考えたことです。2年生6人、1年生5人の計11人で、成田空港からオランダのアムステルダムを経由してボルドーに到着しました。滞在中は、フランスの家庭にホームステイをし、ComEnFranceという学校で授業を受けました。また、ボルドー市内各地を巡り、ボルドーがどんな町であるかを学びました。私がこの研修旅行で体験したことを、言語、歴史、人々や食などの文化に分けて書いていきたいと思います。
フランス語
私はこの外国語研修に向けて、言語において充分な準備ができていませんでした。アムステルダムからボルドーに行く飛行機で、フランス語のアナウンスや、周りの人々がフランス語を話すのを聞いて、全く聞き取れず焦りが生じました。ホームステイ先に到着した初日にも、ホストファミリーにフランス語で話しかけられても理解できず、2週間の研修に対して不安が大きくなりました。その不安を徐々に小さくできたのは、ComEnFranceでフランス語の授業を受けたからです。授業は学年ごとにグループに分かれて行いました。私は1年生5人で、ほぼ毎日3〜4時間学びました。先生が私たちに昨日何をしたのかなどの質問をすることから始まり、文法、単語、会話、リスニングなどをしていくという進め方でした。日本でもネイティブの先生の授業はありましたが、本当のオールフランス語での授業は初めてで、単語の説明もフランス語で、最初は理解するのに苦労しましたが、先生はとても丁寧に説明してくれました。ボルドーの街にある建物の名前や、日常会話で使うフレーズなど、授業を終えて、買い物やホストファミリーとの会話で使える言葉を学んだので、日々会話やリスニングが上達するのを感じることができました。
フランス語は、名詞の姓数によって前置詞や動詞が変わることと発音が私にとって難しいです。ホストファミリーや、交流したフランス人の学生達も、フランス語は難しいと自覚していました。特に発音は、自分では同じように言っているつもりでも現地の人に伝わらなかったり、違うと言われたりすることがありました。フランス語の歌を習うワークショップをした際、歌の先生の発音を真似ると、日本語では使わない口の形をすることが分かりました。
以前よりフランス語を聞き取って理解できるようになったことと、日常でよく使うフレーズやボキャブラリーの知識が増えたことがこの2週間での成果です。最初は、フランス人とコミュニケーションをとる際に何を質問されているかも分からず、とっさに答えると英語が出てしまう状態だったのが、帰りの空港では英語で話されてもフランス語の返答をしてしまっていたことで自分の変化を感じました。それでも、フランス人同士が話す速度では部分的にしか分からず、上手くコミュニケーションが取れないこともあったので、これからもっとフランス語を勉強しようという意欲が高まりました。
ボルドーの街と歴史
ボルドーは、フランスの南西に位置する町です。12〜18世紀の建物が多く残っていて、一部は世界遺産にも登録されています。私が研修旅行の中で最も印象的だったうちの一つが街の景観です。私の住む街とは全く異なっており、とても美しく、住宅も道も石やレンガ造りで、まるでおとぎ話の中のようでした。ボルドーに住む人々は、昔ながらの建物の中に現代の暮らしを組み込んでいて、歴史を大切にしている印象を受けました。
2週間の間に、たくさん散歩をして、ComEnFranceの先生に街の特徴や建物、歴史について説明を受けました。街の中には12世紀にローマを真似て作ったコロッセウム、イギリス領であった時の建物やゴシック様式の教会などがそのまま現代の中に残されていました。多くの建物には、それぞれ顔がついていて、それらはかつて上級者達の流行で、自分の顔や、街の発展に携わった奴隷をモチーフにした顔であることを学びました。また、工事中の家や建築物が多く、それは地下に水が流れているため、建物が倒れ始めているからだと知って驚きました。
ボルドー市内の移動手段は、歩いている人も多いですが、市内にトラムが走っており、主要な交通手段となっていました。トラムは電車と違って電線や大規模な駅が要らないため、伝統ある景観を守っています。また、道が細く自動車では通りにくい道もあるため、自転車が普及していて、レンタサイクルも多くありました。私もホストファミリーに自転車で市内を案内してもらって、とても便利でした。歴史ある文化の中で暮らしている一方、川をトラムや船で渡ると、反対側は再開発されていて、DARWINという若者が集まってスケートボードをするなどの若者文化があることを知りました。
週末には、ボルドーから少し離れたサンテミリオンという田舎町に行きました。有名なワインの産地で、たくさんの葡萄畑とワインの店、また貯蔵のための洞窟を見ました。サンテミリオンという名前は、エミリオンという神父がブルターニュ地方から歩いて辿り着いたことを奇跡として名付けられました。教会には、12世紀のローマの建築と15世紀のゴシック様式が融合していました。マカロンは、サンテミリオンの修道院が作ったのが始まりで、今全世界に広まっていることに驚き、一つのお菓子から歴史を感じました。
フランス文化
2週間をホームステイで過ごすことで、フランスの家庭の過ごし方や食文化を体験することができました。私がお世話になった家庭は、夫婦2人と、4人の子供のうち1人が一緒に住んでいて、4階まであるとても大きな家でした。基本的に放任主義で、夜ご飯以外はそれぞれが各自の生活を送っていたので、私たちも2日目から朝ご飯を自由に食べて学校に向かっていました。日中が別行動の分、夜ご飯は一緒に食べ会話をすることを大切にしている印象を受けました。夜ご飯はスープ、キッシュやラザニアなどのメイン、サラダ、チーズとパンとワイン、ヨーグルトという順番が決まっていて、食前酒がある日もありました。とても丁寧な暮らしをしていて、ヨーグルトや、庭に生えているアプリコットでジャムを手作りしていました。ホストファミリーは、ベジタリアンではないけれど、肉は週末にしか食べず、スーパーにも日本よりもbioの表記がされた食品が多かあったことから野菜や健康食品思考の人が多いのではないかと考えました。スプーンなどの置き方、フランスパンの使い方も教えてもらって、フランスの食文化に触れることができました。また、私達が日本のお土産を渡したり、日本食を作ったりした際には、喜んで食べてくれて、異文化交流を実感しました。
また、市内にはたくさんのカフェがあり、テラス席でご飯を食べている人がたくさんいました。今でも裕福な人が多いと言われる街であることが見て取れましたが、一方で道に座り込みお金を求める人々もいて、経済格差が生じていることも分かりました。
フランスの文化についてもう一つ強く実感したことは、デモとストライキです。出発前から警戒するようメールが届いていましたが、実際に見ると、道路を占拠してデモ行進を行い、店に物を投げつけたり道路で物を燃やしたりと、連日過激な様子を目の当たりにしました。電車が止まって予定が変更になり、パリやアルカッションに行けなくなってしまったことは残念で未練が残りますが、革命の国フランスを肌で感じることができました。日本より政治に参加しようという意識がある人が多いのだと思いました。
おわりに
私は、この2週間を通して、ボルドーの歴史やフランスの文化を体験し、や考え方に対する視野が広がりました。交流の中で、はっきりと意思表示をすることとその個々の意思を尊重することがフランス人の特徴なのではないかと考えました。他人の顔色を伺うことの多い日本で、私はそうした意思表示と他人の意思の尊重をもっと大切にしようと思いました。また、ここまでフランス語を集中的に学ぶ機会はこれまでありませんでした。ボルドーで吸収したフランス語の語句やコミュニケーションがとれたという喜びはこれからの勉強の大きなモチベーションとなっています。これからフランス語をより懸命に勉強して、円滑にコミュニケーションがとれるようになりたいと強く感じました。
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