(河村香穂)外国語研修活動報告から転載
2024 年2 ⽉3 ⽇から2 ⽉19 ⽇にかけてドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デュッセルドルフにおいて実施されたドイツ語語学研修における活動について報告を⾏う。なお、報告は取材を⾏ったJungendberatung(若者相談所)、シナゴーグを中⼼にその他関⼼を持った場所について⾏う。
1. Jungendberatung(若者相談所)
2⽉6⽇、ドイツの福祉について学ぶ⼀環としてドイツの学⽣の相談に乗る専⾨機関であるJungendberatung(若者相談所)への取材を⾏った。取材の内容に触れる前にドイツの福祉の概要について述べる。ドイツの福祉は基本的に国家によって保障されているものではない。連邦制を採るドイツでは、福祉などの「市⺠に⾝近な問題」は、より市⺠にとって⾝近な存在である州政府等の⾃治体によって担われている。そして、⾃治体が⾏うのも予算配分までで、実際に運営を⾏うのは⾃治体から資⾦提供を受けた⺠間の福祉団体である。⾃治体によって予算は異なるものの、このように予算と運営を区別する点がドイツ福祉の特徴であると⾔える。
取材に応じていただいたのは、SKFM (デュッセルドルフ カトリック男⼥社会サービス)のFriedel Beckmann(フリーデル・ベックマン)室⻑である。ベックマン⽒によると、SKFMは50 年以上前から存在しており、その成⽴理由は若者の相談場所を作る為だったという。成⽴以前のデュッセルドルフには育児関係の相談所は存在していたが、若者を対象とした相談所は存在しなかった。20 代半ばまでの若者が育児相談所に⾜を運ぶのは⼼理的ハードルが⾼かったことから、悩みを抱える若者が相談できる場所として、名称に対象者を明記した「“若者”相談所」が作られたのだと云う。対象年齢は13歳から27歳で、普通の相談内容以外に⼼理的な相談内容もう受け付けている。「他⼈に情報が漏れないことが確信出来るからこそ、若者がSKFM を信頼し、相談に来てくれる」と云う考えに基づき、匿名相談、秘密厳守、無料を⼤切にしている。SKFMに持ち込まれる相談は、毎週⽕曜⽇にそれぞれのケースを相談員で分担する。実際に、取材当⽇には性的暴⼒を受けた⼥性が⼥性相談員を希望し、それらの希望を考慮して分担が⾏われたという。また、相談内容は多岐に渡る。⼈⽣の中で簡単には起こり得ない相談をする⼈もいれば、誰にでも起こり得ることを相談する⼈もいる。摂⾷障害を抱えた⼥性や、⼊院が原因で専⾨学⽣という社会的ステータスを失ったことにより鬱状態になった⼥性の例が紹介された。摂⾷障害を抱えていた⼥性は、13 歳から⾷事についての問題を抱えており、⾃⾝は細⾝なのにも関わらず⾃分は太っていると思い込み、摂⾷障害になっていたらしい。この⼥性は、⻑期的に数年間SKFMに通うことで、先⽇⾼校卒業を果たし、現在は世界旅⾏をしていると云う。また、相談⽅法も対⾯、Zoom動画など様々なものに対応している。対⾯でも、個別相談、家族同伴(本⼈が望めば)、集団での相談など多様な相談⽅法を受け付けている。その他、学校と連携して学内でサービスを提供し、ストレス、喧嘩や暴⼒による相談に乗ることもあれば、ドイツ国内の難⺠に対するサービスの提供も実施している。数年前から増加傾向にある難⺠の若者に対してもドイツの若者と同様に相談の機会を設けており、通常とは異なる相談内容に対応するのみならず、異⽂化理解や⾔語研修も⾏っているらしい。このような難⺠対策においても、地域の難⺠総数や需要の把握により細やかな対処が可能になることから、冒頭に述べたドイツ福祉の⺠間委任システムは有効な⼿段であると⾔える。
2. シナゴーグ
2⽉7⽇に、ユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグでラビのカップラン⽒に取材を⾏った。訪れたのは、デュッセルドルフ近郊の教徒も含めて7,000⼈以上の教徒が所属する、ドイツ全⼟で3 番⽬の⼤きさを誇るコミュニティである。また、出張や旅⾏に来るユダヤ教徒にも宗教的なサービスを提供しているという。その他、幼稚園から⾼校までの教育機関、教徒の親を介護する「親の家」の運営も⾏っている。(「⽼⼈ホーム」の名称は避け、「親の家」と呼ぶ)シナゴーグの語源はヘブライ語で「集会所」を⽰し、エルサレムにあるシナゴーグを参考に、建物の構造は世界的に共通している。⼤きなステンドグラスを正⾯に据えた礼拝所は1 階と2階に分かれており、1階には男性が、2階には⼥性が座る。本来ユダヤ教は、男⼥は平等であると考える宗教であるにも関わらず、なぜ男⼥で席を分けるのか。これはユダヤ教における魂の考え⽅に基づいている。ユダヤ教では魂は5 種類に分かれていると考えられている。1つ⽬は「動物的な・能動的な魂」で、これは⽣きていく上で不可⽋な欲望を満たすための存在である。しかしながら、この欲望には際限が無いのでこの欲望を⽌める為の存在として、2つ⽬の「理性的な魂」が存在する。3つ⽬はこの⼆つの魂をバランスよく運⽤する「管理⼈的役割を果たす魂」である。しかし、⽣きるための所作をいつ⾏うべきなのか⼈間は判断できないので、4つ⽬に「神の魂」を持つ。この魂は全知全能の存在で、⼈間として⽣きるにあたって必要な⾏動を知っている。そして、5 つ⽬の「伝達係の魂」は、「神の魂」の指⽰を「管理⼈の魂」に伝達する役割を持っている。しかしながら、男性にはこの「神の魂」からの指⽰が伝わりにくい。ユダヤ教では、⼥性が約99%神の指⽰を受信できるのに対して、男性は60-70%しか受信できないと考えるらしい。私はこれを「⼥の勘」と呼ばれるような⼥性の感覚的なものに由来するのではないかと考えるが、この差異を⽰す為にシナゴーグにおいては、より天に近い2階部分に⼥性が座る。また、同様の理由で宗教儀礼の持つ意味合いも男⼥によって多少異なる。男性にとって、宗教儀礼は神に近づく為の⾏為である反⾯、⼥性にとっては、神とのつながりを維持する為の⾏為なのである。この説明を受けて、「何故、より神に近い⼥性ではなく、男性のラビの⽅が多いのか」と質問した(⼥性ラビは20世紀まで存在しない)これに対して、ラビは指導者的存在ではあるものの聖職者ではないため、宗教儀礼によって神に近づくことを⽬的としている点では⼀般信者と変わりがない。より神から遠い存在である男性がラビの役職に就くことで少しでも神に近づこうとしているのだとご説明いただいた。
また、保管されている経典(タテ1メートル程ある⽺⽪紙製の巻物)を⾒せていただいた際に、劣化により使⽤不能になった経典も⼀緒に保管されていたので、お焚き上げ等は⾏わないのかと質問した。これに対して、ユダヤ教では仏教のようにお焚き上げを⾏うのではなく、時期を診て埋葬するのだと教えていただいた。
写真 1 シナゴーグ外壁にはガザ地区での⾏⽅不明者の顔写真が掲⽰されていた
写真 2 シナゴーグにて記念写真 カップラン⽒と
3. IIK Düsseldorf
2 ⽉5 ⽇から16 ⽇にかけての平⽇は、8 時から13 時まで語学学校IIK -Düsseldorf にてドイツ語の講義を受講した。講義はドイツ各地やデュッセルドルフを題材として、⽂章読解やグループワークによるプレゼン、実際の地図に基づいた道案内や交通機関の乗り換え案内をペアワーク形式で⾏った。特にカーニバル期間中であったため、カーニバルに関わる歴史や単語、同様のカーニバルを⾏う他地域についても学習した。また、実際にカーニバルに参加して現地の⽅にアンケート調査等を⾏った。
写真 3 アンケートを⾏ったカーニバル参加者
写真 4 カーニバルの⼭⾞
4. 旧市街地
ライン河東岸に位置するデュッセルドルフの旧市街地(Altstadt)は、中世を起源とする街並みを現在も観られる場所である。道路はコンクリート造りではなく、中世に建築された⽯畳が現在でも残っている。(写真5)また、過去に使われていた路⾯電⾞(トラム)の線路跡も所々残っており、当時の街並みを伺うことができた。旧市街地の最寄り駅はHeinrich -Heine -Allee駅であり、旧市街地のボルカー通り(Bolkerstraße)には、駅名の由来となった詩⼈ハインリッヒ・ハイネの家(写真6)が残っている。また、市街地中央に位置するマルクト広場(Marktplatz)には、旧市庁舎(Rathaus)が建っており、その正⾯にはドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(WilhelmⅡ)の騎⾺像(写真7)が配置されている。なお、研修はカーニバル期間に実施されたため、マルクト広場ではカーニバルに向けたダンス等の催しが開催されていた。(写真8)通りには⽴ち飲みが出来る机が並んでおり、そういった机を設置している店舗は多くがビール醸造所であった。醸造のみならず、店舗で樽からビールが提供されるため、夜になると多くの客が訪れる。それゆえ、旧市街地は繁華街として栄えている。ライン河の河岸では、港町だった頃の名残である灯台とマルクト広場に隣接する教会を⾒ることができる。デュッセルドルフ⾃体は現在は港町として機能していないが、近郊の港町に向けて貨物船がライン河を運⾏していた。旧市街地には、紅⽩に錨とライオンの意匠をあしらった旗が多く掲げられていた。これは、デュッセルドルフの紋章旗であり、錨は港町を、ライオンはデュッセルドルフを含む地域を⽀配していた神聖ローマ帝国の領邦国家ベルク公国の紋章(Wappentier Bergischer Löwe)を⽰している。(写真9)また、教会の鐘は時報の役割ではなく、ミサの開始と終わりを告げる際に鳴らされることの⽅が多いと云う。旧市街地に対してライン河を挟んだ対岸は、⽇系企業の駐在⽇本⼈が多く住む地域
(Oberkassel)であり、⽇本⼈学校や公⽂が存在する。
写真5 中世から残る⽯畳
写真 6 Heine の家
写真 7 WilhelmⅡ騎⾺像
写真 8 マルクト広場の催し
写真 9 デュッセルドルフの紋章旗
5. ⽇本⼈街(Immermannstraße)・Königsallee・Rheinturm
デュッセルドルフはドイツ国内において、最も⽇本⼈の多い街として知られる。これは、デュッセルドルフに500 を超える⽇本企業が進出していることに起因しており、発端は第⼆次世界⼤戦後に遡る。戦後、⽇本経済が成⻑する過程において、多くの⽇本企業が海外進出図る際に、戦争による被害が少なく、ルール⼯業地帯への買い付けや商談が⾏い易いデュッセルドルフの⽴地は海外進出に最適な都市とみなされた。戦後復興を狙うデュッセルドルフ側も積極的に⽇本企業を誘致したため、結果として多くの⽇本⼈がデュッセルドルフに駐在するようになったのである。⽇本⼈向けの商店も多く開かれており、それらが集中しているImmermannstraße 周辺はリトルトーキョーと呼ばれている。約600 メートルのImmermannstraßにはドイツ⽇本⼈センター(Deutsch-Japanisches Center)もあり2016年まではこの建物中に在デュッセルドルフ⽇本領事館も⼊っていた。⽇本⼈の多いデュッセルドルフは⽇本⼈学校の整備等も進んでおり、駐在員の⼦弟が帰国後も義務教育を滞りなく受けられるような教育システムも整備されている。
⽇本⼈街から300メートルほど⻄に⾏けばKönigsalleeが⾛っている。(写真10)なお、ドイツ語で「通り」を⽰す単語としてStraßeとAlleeが存在するが、Straßeは単純に「通り」を⽰すのに対し、Allee は通りの両側に⽊が植えてある「並⽊道」の意味合いが強い。したがって、Königsallee は、「König(王)のAllee(並⽊道)」という意味を持つ。中央に⼩さな運河の流れるこの⼤通りは⾼級ブランドの店舗が⽴ち並ぶショッピング街である。旧市街地から少し離れた、ライン河の河岸にはラインタワー(Rheintrum)と呼ばれる電波塔が建っている。展望台からはデュッセルドルフの街並みが⼀望できる。興味深かったは、ラインタワーに隣接しているノルトライン=ヴェストファーレン州の州議会の建物である。(写真11)デュッセルドルフはノルトライン=ヴェストファーレン州の州都であるため、議事堂が存在している。また、ラインタワーを挟んで議事堂の反対側には、メディエンハーフェン(MedienHafen)と呼ばれる地区が広がっている。ここは、使⽤しなくなった港の跡地の再開発として、国内メディア企業を誘致したことでメディア企業が集まっている。カナダ⼈建築家が設計した建物がランドマークとなっており、ラインタワーからも簡単に⾒つけることができた。
写真 10 Königsallee の標識
写真 11 ラインタワーから⾒た州議会
今回の研修を通して、ドイツ、特にデュッセルドルフについてこれまで知り得なかった知識を多量に得ることができた。都市の成り⽴ち、権⼒者の変化、他都市との関係性、⽇本との関係、習慣、⾷べ物、考え⽅等を学ぶ⼀⽅で、⽇常⽣活の中にもナチスによる統治の影響が残っていることを実感した。街中で極⼒右⼿を掲げないよう意識したことは本研修で印象に残ったことの⼀つである。また今回、ネイティブと多く関わる機会を持って、改めてコミュニケーションの⼤切さを学んだ。例え⽂法を理解していても、実際の会話の経験を積まないことには⽣きたドイツ語を習得することは難しいと感じる場⾯が多々あった。この経験から、3年次のドイツ語学習ではこれまで敬遠していたコミュニケーション学習により⼀層取り組みたいと思う。
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