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植民地帝国と柔道 ―フランスを知る手がかりとして―

Updated: Apr 7, 2021

(磯直樹)





植民地帝国フランス

フランスはどこにあるかと聞かれると、まずはヨーロッパの領土をイメージするのが一般的でしょう。フランスにはしかし、海外県や海外領土と呼ばれるものがあります。「海外県」というのはフランス国内の扱いであり、グアドループ(カリブ海の島)、マルティニーク(カリブ海の島)、フランス領ギアナ(南アメリカ北東部)、レユニオン(アフリカ大陸南東の島)、マヨット(アフリカ大陸南東の島)がこれに該当します。この他に、南太平洋のフランス領ポリネシアのような「海外準県」、「特別共同体」であるニューカレドニアなどがあります。


このように、フランスが世界各地に領土を持っているのには、歴史的な背景があります。それは、16世紀から20世紀にかけて、フランスが植民地帝国として存在したということです。フランスよりもイギリスの方が巨大な植民地帝国を築きましたが、フランスのそれも世界で第2位という巨大な規模でした。


植民地主義には様々な負の遺産があります。しかし、誰が悪人で誰が善人なのか、植民地主義の何が悪くて何が良いのか、と問うてみると、明確には答えられないことばかりです。実態は実に複雑で、植民地主義の影響は今のフランスと旧植民地に根強く残っています。そのような影響として、例えばレイシズムと移民問題を挙げることができます。


戦後高度成長と移民問題

第二次大戦中の1940年、フランスはドイツに占領され、フランス中部のヴィシーにドイツ支配下の政権が打ち立てられます。しかし、ドイツが戦争で敗北したため、フランスは連合国の一部として戦勝国になります。第二次大戦後、フランス経済は1970年代前半まで高度成長を続けます。当時、経済が活発なのに対してフランス国内の労働力が足りていなかったのですが、足りない分を(旧)植民地からの移民労働者で補っていきました。もちろん、旧植民地以外からも移民労働者は来ていたのですが、高度成長期には(旧)植民地出身者の割合が高かったのです。


1973年の第一次オイルショック以後、フランスの経済成長は鈍化し、景気は悪くなります。そうすると失業者が増えたり、労働者の待遇が悪くなったりしますが、そういうときに影響を受けやすいのは移民労労働者です。かれらの多くには家族がいましたので、労働環境の変化は当然ながら家族にも影響を与えます。


「郊外」問題

1980年代以降のフランスには、「郊外(banlieue)」という言葉には独特のニュアンスがあります。字義通りでは、都市の周辺や隣接地域という意味ですが、しばしば大都市郊外にある公営団地をイメージさせます。そのような団地に住む人びとの多くが、先の移民労働者やその家族です。もちろん、そのようなイメージはマスメディアなどによって作られた偏見という面が多分にあり、地理的な郊外の大半の実態を反映したものではありません。


また、いわゆる「郊外」と言っても、当然ながら多様です。例えば、パリ郊外のオベルヴィリエ(Aubervilliers)市は、この数十年ほどは移民の多い地域として知られています。フランスの旧植民地出身の移民が多かったのですが、2000年代からは中国系の移民が同市には増えていきました。後者は中国の経済成長もあり、比較的ビジネスを成功させています。しかし、いわゆる移民を含むオベルヴィリエの住民のなかに、中国系移民に対する差別感情を露骨に表す人が増えていき、暴行事件や窃盗事件が日常化するようになりました。このような差別に抗するための運動が、2010年代以降、中国系移民のあいだで活発化するようになりました。


他方で、パリ周辺地域の都市再開発は、郊外一般の環境を変化させています。例えば、オベルヴィリエには、メトロの線がパリから伸長し、複数の大学のキャンパスが移転してきました。住宅投資も増加傾向にあります。パリ郊外のモントルイユ(Montreuil)市は、移民も多い庶民的な地域だったのですが、1990年代以降の再開発により、比較的裕福な人びとが住むようになり、様々な文化施設もつくられていきました。このような実態を反映して、「郊外」のイメージも変化してきています。


柔道

私は、いわゆる「郊外」のイメージに合うパリ郊外の一地区でフィールドワークをしていたことがあります。場所は、柔道場でした。「柔道?」と不思議に思う人もいるでしょうが、フランスの柔道人口は日本よりもずっと多いのです。2010年代の競技人口の推移を見ると、日本は20万人程度でしたが、フランスはずっと50万人を超えています。フランスの人口は日本の半分くらいですので、人口比で見ると数倍違うことになります。


フランスの場合、柔道人口は小学生が主になっています。つまり、小学生の多くが行う定番のスポーツが柔道になっているのです。フランスで柔道にどうして人気があるのでしょうか。理由はいろいろあり、フランス柔道については今年中に私が共編者を務める本が刊行される予定なので、それをお読みいただきたいです。その理由を一点だけ挙げておくと、柔道が教育と考えられているのが大きいです。この場合の「教育」とは何かという問題だけでも興味深く、日本とフランスの違いがいろいろと見えてきます。


ところで、柔道を通じて教育の持つ意味というのは、地域によっても大きく異なります。例えば、田舎の小さな町にある柔道クラブと私がフィールドワークしていたパリ郊外の柔道クラブとでは、保護者が柔道を通して子どもに学ばせたいことは概して異なります。このように、一概にフランスといってもいろいろであり、限られた見聞情報をもとに「フランスとは」と語るのは危険です。


日本とフランスにはいろいろな違いがありますが、いろいろと接点もあります。ここで挙げた柔道の話は、そのことを示す一例です。日本とフランスの接点を探しつつ、日本もフランスもいろいろだなと知っていくことで、フランスとはどういう国なのかをより良く理解できるようになるでしょうし、自分がよく知っているはずの日本について知らないことや見えなかったことが発見されていくことでしょう。


磯直樹(中央大学兼任講師・日本学術振興会特別研究員)


※記事の写真はイメージです。

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