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私のダイバーシティ体験

(小野ゆり子)




これがフランス?

30年以上も前、留学しにフランスに行きました。パリに着いた翌日、留学生を世話する機関に出頭しなければならず、地下鉄を乗り換えながら行くと、その学生支援センターのようなところに近づくにつれてまわりの乗客の様相が変化してきました。そして最後には私はほぼアフリカ系とアラブ系の人々の間にいたのです。えー、これがフランス?といささかビビったのを覚えています。むじゃきにもフランスはヨーロッパ系が多数派な国だと思っていたので。そしてたしかに前日、パリの中心にある友人の家に泊めてもらった時はそうだったので。


実は私が選んだ大学はパリの北の郊外にあり、そこを統括する教育センターもまた別の場所ですが北東の郊外にあって、これらの場所に暮らす住民の多くは、非白人系のフランス人たちなのでした。


多様性と差別と・・・

その頃、私は、今よりもさらにひどかった日本での男女格差に憤りながら、女性の書いた文学やら思想やらを読み、性的差異を鍵に、文学や思想史のどんな新しい読み方が可能だろうなどと考えていたのですが、ここで一挙に性の差異だけではない、肌の色や宗教や植民地の歴史など様々な差異と格差の複雑な絡み合いの中に入り込んでいたのでした。


フランスでは、それまでぼんやりと生きていた私にはよく見えていなかった人々の多様性と、残念ながらそれにほぼ100%伴う差別の問題がよく見えました。それは問題の複雑さ、難しさを思い知ることでもありましたが、ある種の解放感を味わうことでもありました。自分が多様な価値の混在の中に解き放たれたので。ふりかえって日本を見る際にも、様々な他者の問題により敏感になる視点をもたらしてくれたと思っています。もちろん、いまだに無知で鈍感ではありますが、それはまだこの年になっても学んで、たぶん改良の余地があるのだと前向きに捉えておきましょう。


さて、これは昔フランスに行った私の個人的な体験ですが、たしかに異なる言語、社会、文化を知ることは、自分のそれまでの価値観を相対化し、視野を広げ、ある種の解放をもたらしてくれる可能性がおおいにあると思うのです。


後日談をすると、おととし、用があって、はじめてスカイツリーラインに乗りました。すると、都心から離れるにつれ次第にまわりは中東系、東南アジア系の人々に……。それでなつかしく昔のパリでの出来事を思い出したのです。日本でも多様性がますます見える形で存在感を増してきました。なんとしても豊かな関係性を紡ぎ出していきたいものです。


小野ゆり子(中央大学兼任講師)


※記事の写真はイメージです。

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