外国語研修(2023年3月ドイツ)活動報告から転載(学生ペンネーム「よみ人しらず」)
今回の外国語研修(ドイツ・デュッセルドルフ)では歴史的・文化的価値の高い建物の数々を訪れることができた。その中でも大聖堂は圧巻だった。
アーヘンとケルンの大聖堂
初日に訪れたアーヘン大聖堂(左の図)は、八角形の宮殿教会を中心に、用途の異なる部屋が並ぶ建築であった。中に入った瞬間に繊細で煌びやかな装飾の施された壁や床に圧倒される。ドーム状になっていて、首を真上にまで倒して見上げると、中心は突き抜けるように高く、全体的に柱から天井にかけてのあらゆる作りが美しい曲線で構成されていることがわかる。
また一方でケルン大聖堂(下の図)は駅を出てすぐにそびえたっており、アーヘン大聖堂以上に建物自体の存在感に驚いた。中に入るとあふれかえるような観光客とは裏腹に厳かで神秘的な空気が場を満たしていた。
晴れの日はステンドグラスや窓から光が差し込んでおり、雨の日以上に非現実的な空間であった。歴史あるアーヘン大聖堂よりシンプルなデザインで、前者のほうが煌びやかで華やかとしたら、後者はより洗練された印象であった。両者の共通するポイントは、左右対称や円などの統一感のあるシンメトリーなつくりが好まれているところであると思った。同じカトリックの大聖堂でも、印象がだいぶ変わるのが興味深かった。
ドイツの難民・移民政策の現場
また、今回の研修ではドイツにおける移民・難民政策に多くの知見を得ることができた。
一つ目は難民のための職場訓練施設である。学校に入るまでの空白の時間や、ドイツにおいて職業訓練に適した年齢の青少年のサポートとして、デュッセルドルフ市の援助を受けて運営されている。ドイツで暮らしていくための、実践的なドイツ語と職業技能を身につけるほか、本当の意味で居場所を提供する意味で、難民を「受け入れる」土壌になっていると感じた。サポート体制としては、とにかくドイツで生活し言葉の通り生きていく本人達を軸にして、一人一人のレベルに合わせた授業や教材、娯楽を通したドイツ語でのふれあいを提供しており、ただ難民政策と言葉ばかりのものではなく、1人の人として自立して生きていく当事者たちに寄り添ったものであった。
しかし、必ずしも難民申請が通るわけではなく、その課題自体だけでなく、本人達の勉強や生活のモチベーションに関わる残念な現実もある。それに加え、成績が不振な学生や家庭環境に問題がある学生に対して、成功体験を与えることで「自分には価値がない」と思い込んでいる青少年を良い方向へ導く政策も打たれていることを知った。担当してくださった職員の方が語る中で「人材ではなく人間を作る」という言葉が最も印象的であった。その言葉の通り、何かテンプレート通りに作業的な福祉活動を行うのではなく、あくまでも当事者たちが自分らしく生きていくための技能的、精神的の両側からのサポートを意識していることが伝わった。
二つ目の施設は、デュッセルドルフ市の運営で2009年から運営されている移民の青少年を対象とした学童のような施設である。放課後に解放され、昼食付きで移民の子どもたちは無料でドイツ人の子どもたち向けは一日4€と安価で利用できる。施設では職員や友人と共に宿題をやる時間があり、終わった後に様々な遊びを通してドイツ語への親しみやコミュニティの形成、メンタルコントロールのスキルの定着を促しているそうだ。発達障害、言語障害、その他諸々のサポートを行うこともあるそうで、柔軟な対応で社会的弱者を取りこぼさないようにされていることがわかった。ここでは幅広い年齢で様々な環境を抱えた子どもたちが受け入れられているが、「ここは目標や居場所を見つけられていないたち子たちのための場所であって、いずれここに来なくなるというのは喜ばしいこと」というような言葉が非常に印象的であった。
このように、日本では馴染みが薄い移民や難民という存在や文字列には、ドイツではより身近にあり、彼らの生活に近いところで政策が打たれていることがわかった。一貫していたのは、社会的弱者の当事者たちに生きた人間として寄り添い、今持っている課題や壁を根本から見直し、サポートしていくことで自立した人生に導いていくスタンスをとっているところだった。勝手なイメージとして、行政による社会的弱者へのサポートは見えている結果の一時的な表面的解決だけに陥っていて、根本的解決に至らず、その他の層との対立を深めているマイナスなイメージがあったので、このような支援がもっと広がって欲しい。
Comments